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★公園利用について【重要なお知らせ】

新型コロナウイルス感染拡大警報が発令されております。下記の事項についてご理解とご協力をお願いいたします。

ご来園の際は、「マスクの着用」「咳エチケット」「徹底した手洗い」「三密を避けた行動」など感染拡大防止にご協力ください。 なお、今後の新型コロナウイルス等の感染拡大状況により施設の一部が利用中止となることや利用の自粛をお願いするとがあります。あらかじめご了承ください。
最新情報は公園管理事務所(TEL:099-248-6661)までお問い合わせください。

※管理事務所では、マスクの販売も行っております。

現在の状況については、下記の鹿児島県HPをご覧ください。
※鹿児島県HP:緊急事態宣言対象区域と感染拡大地域の往来に御留意ください。
https://www.pref.kagoshima.jp/ae06/kansenkakudaichiiki.html

県立石橋記念公園

ようこそ!  石橋記念公園へ

石橋記念公園・石橋記念館の紹介

かつて鹿児島市の甲突川には、江戸時代末期に肥後の名石工岩永三五郎によって架けられた玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の5つの大きなアーチ石橋がありました。特に、「西田橋」は、参勤交代の行列が通るまさに城下の表玄関を飾るにふさわしい藩の威光を誇示した橋で、「御門」があり、二重アーチと扇状石積みの壁石、丸柱の精巧な高欄に青銅凝宝珠など豪華に建造されました。
これら五石橋は、約150年にわたり「甲突川五石橋」として親しまれ、現役の橋として利用されてきましたが、平成5年(1993)8月の豪雨により武之橋、新上橋が流失したことから残った3橋(県が西田橋、市が高麗橋、玉江橋)を移設・復元。

併せて石橋の架橋技術や当時の歴史を伝える「石橋記念館」を整備し、平成12年に「石橋記念公園」として開園。夜は9時までライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸しだし、昼は橋越しに見る桜島が絶景。
あの「篤姫」も渡った西田橋。橋の上に佇めば、時を超えたロマンが感じられる。

 

西田橋
(二重アーチと扇状石積、欄干の装飾などが特徴。県指定文化財。)
参勤交代の行列が通った橋。あの篤姫も江戸にお輿入れの際渡ったと言われています。また城下の表玄関として「御門」があり、夜は9時までライトアップ。

高麗橋(祇園之洲公園)
かつてこの橋の周辺には、明治維新で活躍した西郷、大久保さんらが暮らした町があった。

玉江橋(祇園之洲公園)
五石橋では岩永三五郎が、最後に甲突川上流に架けた橋。伊敷不動堂にお参りする人達のために造ったとも言われています。

石橋記念館 全景
石橋の歴史や架橋技術を映像やパネル等で楽しく学べます。公園の敷地が、江戸時代末期の埋立地であったことから、当時の絵図等の資料や発掘調査出土品も展示紹介しています。

2階 ガイダンスホール
県内の石橋に関するデータや映像がパソコンで検索できるほか、移設、復元の状況がパネル、古地図で学べます。

1階 常設展示室(大型画面とジオラマ)
石橋の架橋技術や歴史が大型画面、パネル、模型等で学べます。ミニアーチ石橋模型作りが体験できます。

石橋記念公園では、大河ドラマ「篤姫」のロケが行われました。

 弘化3年(1846)西田橋が完成した時、篤姫は12歳でした。
嘉永6年(1853)8月21日、13代将軍徳川家定の御台所になるべく江戸へ向かう篤姫も旅の始まりにこの橋を渡ったのです。
西田橋から城下を振り返ると正面に桜島が見えます。少しずつ遠くになっていく桜島や街並み。明治16年(1883)に 東京の千駄ヶ谷において亡くなるまで二度と鹿児島の土を踏むことはなかった篤姫は、どのような思いでこの橋を 渡ったのでしょうか。西田橋の敷石を踏みしめ、欄干に手を触れると、旅立つ篤姫の気持ちが伝わってくるようです。

薩摩沿革地図